ぶらり歩き

24. 玉川学園から町田を歩く  町田フットバスガイドブック       平成24年8月17日

 7月末に、突然、右足の親指の付け根が腫れあがり、鈍痛も伴う痛風を発症してしまう。そのため、薬を服用し、好きなビールをはじめとするアルコールを控え、ウォーキングや酒席をキャンセルして治すことに専念してきた。その甲斐があって、右足裏に多少の違和感が残るものの、ほぼ完治することができた。しかし、ここ1ケ月ほど思うような歩行ができない状態が続いていたため、足の回復具合と足慣らしを兼ねて近場を歩く。
 
 予報に反して真夏の強い陽射しが照りつけ、気温も32〜33℃に上昇する中での厳しいウォーキングとなる。10時前に小田急線・玉川学園前駅に降り立ち、鎌倉古道を辿ることを目的に歩き始める。
 
 玉川学園を目指して登りの道を進むと、道の右側に青々しい孟宗竹を背景にしてぬぼこ山本宮の鳥居(写真1)が立っている。鳥居を潜ると、参道は木立に覆われて木陰を作り駅からの数分のウォーキングで汗ばんだ体に心地よい。拝殿(写真2)は普通の木造住宅の建物で、神社らしさが感じられない。「ぬぼこ」というのは、吉備の抜剣山(ぬぼこやま)に関係があり、スサノウノミコトの霊験ある剣に由来する名称のようである。拝殿は火災で全焼したため、改めに建て替えられた建物という。

 玉川学園の校舎が見える手前まで登り道を行き、右に曲がると道は尾根道となる。すぐに突き当たると、そこが鎌倉古道(写真3)となる。辺りは住宅街となっていて、道は舗装され、自動車がすれ違うことができるぐらいの道幅がある。鎌倉古道は尾根伝いに構築されており、道の左右の斜面は住宅街として開発されている。左側を眺めて見ると、長津田駅前に建設されているタワーマンションが送電鉄塔に囲まれて遠望できる。 

写真1 ぬぼこ山本宮  写真2 ぬぼこ山本宮拝殿 写真3 鎌倉古道 



 
 道が小田急線と平行になる辺りで、急に道幅が半減して車1台がやっと通れるぐらいの鎌倉古道らしい道(写真4)となる。鎌倉古道は昭和薬科大学に向かって続いていくが、その手前に三井住友生命の研修施設の建物、陸上競技のトラックが現れる。研修施設と昭和薬科大学の敷地に挟まれた狭い舗装された道も鎌倉古道(写真5)である。昭和薬科大学の敷地際には高木が植えられていて古道を陽射しから守ってくれる。ここでも古道は尾根を進み、両側の敷地は斜面の下に広がっている。道は途中から下りの土道となる。そして、住宅も視野から消えて、切通しの道(写真6)が現れる。しかし、この道は古道ではないのが残念である。

写真4 鎌倉古道 写真5 鎌倉古道 写真6 切通し道




 道を下り切る手前にあるたぬき山の辺りには、ぬぼこ山本宮の参道と同じ竹林(写真7)が両側に広がっていて、汗だくの体と目に清々しい。 たぬき山から一般道路を登って再度鎌倉古道に向かうが、陽射しに直接晒されるためかなりこたえる。時間にして5分であるが、泥土の登りであるため、足の筋肉の疲れではないが、心臓に対する負担が大きく、鼓動が激しくなる。道を登りきった直交する尾根のところが鎌倉古道で、左側のかしの木山自然公園の中に続いていく。
 北門から公園に入ると、鎌倉古道の説明板(写真8)が立っている。それによると、公園内に残る鎌倉古道は、府中・関戸から町田市内を通り、瀬谷をへて鎌倉に通じる古道の一本となっている。いわゆる鎌倉街道上道の一部ということになる。お盆休みとはいえ、陽射しが強烈なせいか公園内を散歩する人も数人見かけるだけである。鎌倉古道は尾根に引かれた道であるため、途中に東屋、休憩用木製のベンチとテーブルが設けられている。そこからは、雲量が多い空に霞んで見える丹沢の山々を背景にした町田市街を間近に一望できる。

 鎌倉古道を歩いて南門で公園を出ると、相変わらず道は細い道幅で続き、立体交差の小さな橋(写真9)を渡ると両側に住宅が現れる。この辺りから古道は再び住宅街の中を通り、舗装道となる。

写真7 竹林の道 写真8 鎌倉古道と案内板 写真9 鎌倉古道 



 小さな丘を整備した鞍掛の松公園前には、鎌倉古道の道標(写真10)が立っている。道標の左面には「至 府中・分倍河原」、右面には「至 鎌倉」と刻まれている。鞍掛の松とは、元弘3年(1333年)に上野国(こうずけのくに)から鎌倉に攻め込んだ新田義貞が、分倍河原の合戦に勝利してこの地まで進み、馬の鞍を掛けた松に由来するという。丘の下には恩田川が流れており、宿営するには絶好の地であったのであろう。

 公園の少し先で古道は消えてしまうため、ここからは町田駅を目指して一般道を歩く。恩田川に出ると、強烈な日差しをものとはせずに川沿いの遊歩道を散歩、ウォーキングする人に出会う。ガイドブックに従い歩くが、熊野神社高ケ坂遺跡に向かう道順案内が複雑なため、成瀬街道伝いに進む。

 高ケ坂遺跡(写真10)は、縄文時代中期の末期ごろ(約4,000年前)の竪穴式敷石住居跡(写真12)である。遺跡は施錠された建物の中に保存されているため、中に入ることはできないが、金網越しに覗いてみると、平らな川石が敷き詰められている。

 この後、原町田市民の森を通り、芹ケ谷公園を抜けて町田駅に出るルートであるが、道を間違い、市民の森から一般道に出てしまい、ショートカットして町田駅に出る。

 ここまで、熱さのためか心臓にかかる負担が大きく、いつもよりも疲れを強く感じたが、体調の回復具合と足慣らしには適当なウォーキングであった。一夜明けて足の具合も問題なく、歩くことに対しては支障ないことが確認でき、ひと安心である。  

写真10 鞍掛の松公園 鎌倉古道道標 写真11 高ケ坂遺蹟石碑  写真12 高ケ坂遺蹟 竪穴式敷石住居跡


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